今から30年以上前の1967年、日本に「マクルーハン旋風」が吹き荒れた。マクルーハンというカナダの大学教授がテレビ時代を読み解く画期的な「理論」を打ち出して、北米で話題だ=\―そんな情報が伝えられ、マスコミがこぞって注目し、紹介記事やその是非をめぐる論評が紙誌をにぎわした。特に、中心的な紹介者の竹村健一が同年8月に『マクルーハンの世界』(講談社)を上梓すると、マスコミはいよいよ過熱し、「マクルーハン旋風」という呼び名が定着すると同時に、その理論を示す「メディアはメッセージである」や「ホットとクール」といった謎めいた表現が流行語にもなった。ところが翌68年になると、「旋風」は急に吹きやみ、同年に著作の翻訳が出る頃には、マクルーハンという「メディア(媒体)」も、その「メッセージ」も、事実上、忘れ去られていた。
このたびちくま学芸文庫に収録されることになったW・テレンス・ゴードンの『マクルーハン』(拙訳)は、この「旋風」を起こした人物の思想と生涯を、豊富なイラストを駆使して紹介した刺激的な入門書である。
トロント大学教授のマーシャル・マクルーハン(1911−1980)は、修辞学を専門とする英文学者だった。学生とのギャップを克服するために米国の大衆文化を研究したのを契機に、電子メディアの登場が、従来の活字人間の思考形態や社会全体をいかに変化させるかを考察し、『グーテンベルクの銀河系』(62年)や、ベストセラー『メディア論』(64年、邦訳はともにみすず書房)を出版。文学的教養と独自の感性を誇る彼は、アフォリズムを武器に、マスコミやアカデミズムを挑発し続けたが、北米での人気のピークは、日本での「旋風」とほぼ同時期で、70年代に入ると、注目されなくなった。
しかし、インターネットによる世界規模の電子コミュニケーションの本格化した昨今、北米ではマクルーハン再評価の動きがみられる。著者ゴードンは、そうした動きをも踏まえつつ、ユーモアに満ちた「メディアの予言者」の思想を楽しく明快に解き明かす。また、マクルーハンが実はテレビ文化に批判的な活字人間で、「地球村」を理想郷ではなく混迷の世界と捉えていた事実なども織り込まれており、本書は、かつて「旋風」に巻き込まれた私たち日本人にとっても、その「理論」と「時代」を見つめ直し、「今」を考える絶好の機会となるだろう。実際、日本でも再評価はすでに始まっているのだ。
ところで本書によれば、マクルーハンの墓碑には、"THE TRUTH SHALL MAKE YOU FREE"(真理は汝らに自由を得さすべし)とヨハネ伝の一節(第8章第32節)が「コンピュータ風の活字」で刻まれているそうで、イラストも載っていた。実物を見たくなった。長男のエリック・マクルーハンに尋ねると、トロント郊外のカトリック系の墓地にあるという。2001年3月下旬、私は久しぶりにトロントを訪れた。
春の到来を予感させる静かな晴れた日、友人ローン・トークの出してくれたRV車で、市中心部から郊外に向かう。ヤング・ストリートを20分ほど北上すると、ハイウェイ七号線との交差点の右手前にホーリー・クロス墓地
(Holy Cross Catholic Cemetery) を発見。管理事務所で手渡された小さな地図と番地を頼りに広い敷地を探す。「聖ペテロ像のすぐそば」にあるとエリックから聞いていた。
像はすぐにわかった。だがその周囲は残雪に覆われている。これでは見当がつかない。友人が車からシャベルを出してきた。二人で雪かきを始める。三十分ほどたったが、発見できない。次の約束が待っている。あきらめよう。ふと足元のプレートに目をやる。B4判程度の大きさで、薄汚れたその黒い石の表面には、丸まった文字で、"HERBERT MARSHALL McLUHAN"と刻まれているではないか。生没年月日に加え、聖書の引用も確かにある。そこは、雪に覆われていない、さっきからあたりを眺望していた場所だった。真理≠ヘ足元にあった。マクルーハンの霊にからかわれたのかもしれない。私たちの先入観や確信を崩すことこそ、彼が生涯という「メディア」に込めた最大の「メッセージ」だったのだから。
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