●グールド人気とはいかなるものか
「日本ではグレン・グールドのCDや書籍がたくさん出ているそうだが、グールドが日本で人気があるのはなぜか?」――海外に行くと、よくそんな質問をされる。なるほどグールドのすべての商業録音が世界でいちはやくCD化されたのは日本である(一九八九年)。グールド関連の書籍も、雑誌の特集号などを含めればすでに約三十点が出版されていて、この点数はおそらく世界一であるし、これほど多数の本の出ている演奏家はほかにいない。
しかし、この問いに答えるのは難しい。そもそも本当に「人気がある」のだろうか。クラシック・ファンの誰もが好む演奏家ではないし、嫌う人もいる。マニアが多いから、という説明も、グールド支持者の一部分にしか光を当てない議論になってしまう。直截的な答えは私も知らないが、周辺的な参考意見を述べてみよう。グレン・グールドという「アーティスト」の本質を解き明かすヒントにもなるかもしれない。
実はグールドは、この二〇〇七年秋に生誕七十五年、没後二十五年を迎える。五十年の生涯と二十五年の「死後の生」の軌跡をまず振り返ってみよう。
●七五(五〇+二五)年の生涯
グレン・グールドは一九三二年九月二十五日、トロントに生まれた。母親にピアノの手ほどきを受けたあと、同<<pp.42/43>>地のロイヤル音楽院でオルガンとピアノを学び、四六年にピアニストとしてデビュー。五五年には米国デビューを果たし、同年録音したアルバム、バッハの《ゴルトベルク変奏曲》で一躍話題を呼ぶ(翌年発売)。バッハ、モーツァルト、ベートーヴェン、シェーンベルク等をレパートリーの中心に据えて、演奏会活動と録音に励む。五七年にはソ連や欧州をまわるなど、実績を積み、名声を高めるが、六四年四月のリサイタルを最後に公開演奏から退く(引退が広く知られるようになるのは数年後)。
以後、録音と放送番組を音楽表現の場とする。同時に音楽とメディアをめぐって文筆活動を行ない、また、カナダ放送協会のプロデューサーをも務め、「北の理念」や「シェーンベルク生誕百年」など、複数のインタヴュー音声を重ねて流す、まるで音楽作品のようなラジオ・ドキュメンタリーの制作を手がけた。
八一年、《ゴルトベルク変奏曲》を再録音。ピアニストとしての活動を総決算し、指揮者への転身を準備していたが、翌八二年十月四日、脳卒中で急逝する。
生前のグールドは、十代のうちから国内で天才ピアニストとして知られていたが、世界に誇る「カナダのアイコン」としてカナダ国民が彼を「発見」<<pp.43/44>>するのは、その死後、諸外国(日本やドイツ、フランス等)での根強い人気に気づいてからである。諸外国では、生前よりグールドの存在に注目が集まり、その録音は各国で評価されてきた。今日では斬新なバッハ演奏の現代性が認められ、二十世紀の代表的な演奏家のひとりに数えられるのは言うまでもない。カナダ放送協会等の映像番組も世界的に紹介されるようになったし、グールドの業績に対する学術研究も年々盛んになり、著作や関連書(伝記や研究書)も各国で出版が続いている。なお、今年の九月より、首都オタワに隣接するガティノーのカナダ文明博物館にて「グレン・グールド展」が始まり、国際学会も催される。
●日本での受容の流れ
冒頭に述べたように、録音や関連書の発売状況から判断するに、確かに日本は没後のグールド受容を世界的にリードしてきた。
では生前は、となると、当初は様子が違う。初の国内盤は五六年十一月発売の《ゴルトベルク変奏曲》で、その後ベートーヴェンの「後期三大ソナタ集」も出たが、どちらも評判を呼ばず、売れ行きも芳しくなかったらしい。紹介は頓挫した(北米では年に三枚程度のペースで新譜の発売が続いていた)。その状況を嘆いたひとりが吉田秀和で、『芸術新潮』(六三年四月号)の連載「現代の演奏」で、グールドを積極的に取り上げ、賞讃している。
結局、グールドが本格的に発売・紹介されるのは、六五年三月の《ゴルトベルク》再発売を皮切りに、日本コロムビアが「グレン・グールドの芸術」と題して、アルバムを順次発売し始めてからである。さらに、六八年三月にCBS・ソニー(現ソニー・クラシカル)が誕生し、日本コロムビアより音源発売権を継承すると、グールドの旧譜も復活し、新譜も続々と発売されていった。なお、本来モノラル録音であった《ゴルトベルク》は、擬似ステレオ盤として六九年一月に再発売。そのときはインタヴュー盤『コンサート・ドロップアウト』を加えた2枚組となり、「コンサートは死んだ」と発言する異才の存在を立体的にアピールすることになった。
やがてグールドの主な録音はレコード会社のレギュラー・アイテムとなる。いつしか日本は、グールドのレコードの売り上げ枚数が世界でいちばん多い国になった。これは生前のグールドの耳にも届いた。漱石の『草枕』を愛読し、映画『砂の女』を繰り返し観るなどして、日本に親近感を抱いていた彼は、これを得意げに話していたという。
●グールド人気の理由
かくして日本がグールド受容において注目するべき国であることはわかった。では彼が日本で人気の高い理由はどこから探れるか。
まず、基本的に、日本人は録音(レコードやCD)を買い集めるのが好きである。コンサートという音楽の鑑賞形態もあるが、グールドは生演奏を拒否した存在であったがゆえに、生前よりその体験は録音でしか得られなかった。ゆえに録音を通して彼の演奏を聴きたいという意欲は微妙に駆り立てられたし、今なおそうした意味での神秘性が人々を引きつけるのではないだろうか〔『朝日新聞』一九九二年十二月十五日付け夕刊の拙稿参照〕。
第二に、出版面を後押しする理由として、グールドの残した「演奏」「発言」「伝記的事実」の三つの要素が、それぞれに興味深く、また相互の関連を検討せずにはいられないほどに挑発的であるという状況がある。
例えば、グールドの録音のうちで賛否両論の分かれるモーツァルトのピアノ・ソナタを考えてみよう。極端に速い(あるいは遅い)テンポ、楽譜の指定を無視した強弱や節まわし、自己流の装飾音、本来聞こえないはずの旋律の強調、反復指示の無視など、グール<<pp.44/45>>ドのモーツァルト演奏(録音)は、従来の演奏の約束事を踏み外す大胆な解釈であり、人々をその意味づけに駆り立てる。
著作を読めば「モーツァルトは早死にしたのではない。死ぬのが遅すぎたのだ」という主張に圧倒されるし、書簡集を開くと「疑わしきは加速せよ」などという表現が目に飛び込んでくる。伝記には家庭では神童モーツァルトの話がタブーだったことや、グールドのモーツァルト解釈に反発する批評家との確執があった事実も書かれている。これらを参照すると、再び演奏に触れたくなる。人を意味づけに駆り立てる「三つどもえ」の要素がグールドほど見事に立ち並ぶ演奏家は、ほかにいない。彼の未発表録音や関連著作が出るたびに、ファンはそれを入手し、思いをめぐらすのである。
第三に、グールドのファン層を考えよう。グールド・ファンはクラシック音楽全般に日頃から親しむ音楽愛好者とは限らない。要するに「クラシックはグールドしか聴かない」人が少なからずいる。そういう人が普段聴く音楽はジャズやロックであったりするし、音楽はグールド以外はあまり聴かず、むしろ他の芸術分野や文学等に精通するタイプかもしれない。あるグールド・サイトを営むT氏はこう説明している――「ひとつの自分なりの結論としては、グールドをクラシック音楽と思って聴いても面白くない、ということなのでした。どっちかというと『ロック』な感性で聴いたほうが、自分にはしっくりきたのです」(http://www31.ocn.ne.jp/~deadfunny/gould/)。
●異端視するよりも……
この第三の状況は日本のグールド受容を考えるヒントになると思うが、別に日本に限らないかもしれない。そして、実は、ここにグレン・グールドという「アーティスト」の個性の本質が秘められている気がする。
本来、クラシック音楽とは◆作曲家【傍点】の個性の実現が基本であり、◆演奏家【傍点】の個性は、作曲家への共感に基づき、その意図を最良に伝える限りにおいて発揮される。ところがグールドの場合、自分の個性が作曲家の個性を凌駕する。作曲家の意図を評釈したり、作品の不備を暴いたり、修整したりするために演奏することすらある(例えばベートーヴェンやモーツァルトのソナタ)。あの定評あるバッハ演奏だって、聴き手はバッハの個性よりも、むしろグールドの個性に耳を傾け、楽しんでいるのではないか。ならば逆に違和感を覚える人がいても当然である。五六年、村田武雄は《ゴルトベルク》のレコード評にこう書いた――「私にはバッハがこの変奏曲に求めたのとは別のグールドのバッハになり切つているのに不満を覚える」(『レコード芸術』五六年十一月号)。
グールド本人が意識していたかどうかはともかく、彼の演奏はクラシック音楽での解釈の約束事を無視した営為であって、これは作曲家よりも演奏家の創意が重視されるジャンル(ジャズやロック等のポピュラー音楽)でこそ輝く個性である。だから、異端視するよりも、「グールドはクラシック音楽ではない」と考えた方がすっきりする。グールドを聴く行為は、その自在な個性がおのれの感性とマッチするかのみが問われる。聴く際にクラシック音楽の素養はいらないし、聴いてつまらなければ投げ出して結構。その代わり、グールドならではの躍動感や抒情性に魅せられたり、ひとたび彼の挑発に乗ってしまうと、ただごとでは済まない。
(2009年4月23日再録)
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