Junichi Miyazawa,
review of Keiko Torigoe, Soundscape
(Tokyo: Kajima Shuppankai, 1997),
Kanada kenkyu nenpo no.18 (September 1998): 72-75.


鳥越けい子著 『サウンドスケープ
宮澤淳一

<書評>
鳥越けい子著『サウンドスケープ――その思想と実践』
(SD選書 229,鹿島出版会,1997年) .
『カナダ研究年報』第18号(日本カナダ学会,1998年9月):72-75頁.


  1933年生まれのカナダの作曲家マリー・シェーファー(Murray Schafer)が「サウンドスケープ」という概念を提唱し,「聴く」という行為の反省を現代人に促し始めたのは1960年代末のことである。以後,この「音の風景」をめぐる考察は,シェーファーとその支持者たちによって展開されたと同時に,わが国でも,1970年代よりその成果が紹介され始め,多くの研究者が現われたばかりか,1993年には日本サウンドスケープ協会も設立され,「音環境」をめぐって,作曲,美術,建築工学,環境行政等,各界の盛んな交流が始まっている。こうした状況において,早くからサウンドスケープ研究に打ち込み,音環境デザイナーとして実績を積んできた日本の第一人者が,本書の著者,鳥越けい子である。

  日本では「既にシェーファーを越えた多様なサウンドスケープ論が展開しつつある」(8頁)が,鳥越は,あえてシェーファーに立ち帰る。まず,この思想の成立の現場から論を起こし(第T章),次いで「聴く技術」の問題を扱い(第U章),最後に「サウンドスケープ思想に基づくデザイン活動」を,建築の分野を中心に取り上げる(第V章)。

  サウンドスケープ概念とは,「現代に生きる一人の作曲家が自らを取り巻く情況と真摯に向き合った結果到達した概念であり,また到達せざるをえなかったひとつの『音楽思想』だった」(26頁)。第T章「マリー・シェーファーと二〇世紀音楽の地平」では,この点が論じられていく。まず,1960年代北米の社会的・思想的・文化的背景が言及される。エコロジー運動,「マクルーハンの理論に代表される『視覚中心の西洋近代文明に対する反省と聴覚文化復権の試み』といった思潮」(34頁),そして,「非楽音」を排除していた「西洋近代音楽の伝統」を打破し「芸術の環境化」を志向する「ケージ以降」世代の作曲家の芸術運動……。鳥越は音楽学の立場から特にこの芸術運動を説明し,シェーファーが騒音問題に音楽家として責任を感じていた点を指摘する。1965年に新設と同時に赴任したサイモン・フレーザー大学で騒音に悩まされ,騒音研究を始めたシェーファーの伝記的事実がこれに呼応してくる。結局彼は騒音研究の限界を知り,「騒音問題を含む音環境の全体を扱う研究の方法論を探る必要性を感じるようになった」(39頁)という。

  加えて鳥越は,シェーファーが世界各地の「非『近代/西洋』の音楽文化の再確認と発見」を志向した事実をサウンドスケープの成立背景として強調し(48頁),彼が1970年代前半に他の研究者たちと行なった音環境の調査研究「世界サウンドスケープ・プロジェクト」(WSP)を意義づける。この企画の結果,サウンドスケープは「音環境そのもの」から「共同体と音環境との間の相互作用」へと概念が拡大した(58頁)。ここからWSPは「サウンドスケープ・デザイン」という音の環境芸術の枠組みを獲得し,シェーファーは著書『世界の調律』(The Tuning of the World, New York: Knopf, 1977.――鳥越けい子・小川博司・庄野泰子・田中直子・若尾裕訳,平凡社,1986年)で理論を集大成し,調査研究の現場から離れ,作曲活動に戻っていく。

  実は今日,そうしたシェーファーの動きへの間接的な批判はある。カナダにおけるサウンドスケープ研究は,シェーファーの離脱以降「ドラスティックな展開が見られ」ず,「思想としても科学としても未だに初歩の段階に留まっている」と指摘する声がそれである(今田匡彦「カナダでのサウンドスケープ――その思想的展開の現在」,『日本サウンドスケープ協会報』第9号,1997年10月)。しかし本書の鳥越は,そうした否定的文脈には近寄らず,その後のシェーファーの作曲活動をみずから提唱したサウンドスケープ・デザインの延長線上の実践的行為として肯定する。そこでシェーファーの2つの創作――《星の王女》(1981年)と《月を授けられる狼》(1987年‐)――が紹介される。これらはコンサート・ホールを脱却し,湖上や原生林において,人々と環境との交流によって作り上げられる「環境芸術」作品である。実演に参加した鳥越の詳細な解説は臨場感に満ち,詩的ですらあり,サウンドスケープ・デザイン活動の提唱者=実践者としてのシェーファー像を描き出している。

  第U章「音の風景を聴く」では,シェーファーが開発した「聴く技術」の方法論が具体的に示される。まず,「サウンドスケープ・デザイナーの第一の職務は,聴き方を学ぶことである」という『世界の調律』の名言に基づき,「聴く技術」を養うワークブック『サウンド・エジュケーション』(鳥越けい子・若尾裕・今田匡彦訳,春秋社,1992年)の課題が紹介される。「音のお絵書き」「音聴き歩き」「音の散歩」……。こうした楽しい課題はすべて「イヤー・クリーニング(耳の掃除)」であり,「耳の教育」であることがわかるが,鳥越はその本質の確認を忘れない――「この場合,『耳』の教育といっても,その内容は,『正しい手本を指し示して教える』といった従来の『教育』のイメージとはかなり異なるものであること。『異なる聴き方への気づき』『多様な聴き方の発見』といった『他者の理解』を大切にするものだということである」(107頁)。

  続いて本章では,音風景の解析と記述のためにシェーファーが導入した各種の概念――「音響体」「音事象」「ソノグラフィー」「基調音」「信号音」「標識音」「前景」「後景」「音響的なリズムと密度」など――が列挙されていく。これらの概念は,1970年代前半のWSPの調査で育まれたものであるため,電気メディアの高度に発展した現代日本の大都市の解析には十分ではない。鳥越はそれを認めた上で,サウンドスケープ・デザイン活動の地固めを続ける。すなわち,サウンドスケープから捉えた環境の特徴を考察し,「意味づけられた環境」「記憶としての環境」「プロセスとしての環境」といった環境の重層性を解き明かす。音楽家のみならず,「現代社会の様々な音環境の想像を現在,実質的に担っている」(142 頁)建築家や都市計画家こそが,こうした環境を「聴く」営みを学ぶ必要がある。この主張が次章を導く。

  第V章「サウンドスケープ思想に基づくデザイン活動」において,鳥越はいよいよシェーファーの地平を離陸する。「サウンドスケープ・デザイン」とは,サウンドスケープ思想に基づくあらゆる「企画/計画」行為を意味し,それは常に「聴くことを学ぶ」姿勢に依拠しなくてはならないが,「音環境デザイン」の実践例はシェーファーにはなかった。そこで鳥越は過去約10年にわたり,その実践を試み,検証してきた。1992年,大分県竹田市にオープンした「瀧廉太郎記念館」の庭園整備計画が詳述される。

  鳥越が目指したのは少年時代の瀧廉太郎が過ごした音風景の再現だった。井戸,飛び石,縁石,裏山への階段などを復元し,「人間の活動の音」や「自然界の音」といった現実の音ばかりか「記憶やイメージの音」までも組み込んだ「音の庭」作りがなされた点は驚異であり,音環境デザイナーの誇らしい成功例である。他の実践例をも鑑みるに,こうしたデザイン活動の要諦は,聴覚的環境資源の特徴を見極め,それをいかに引き出すかであることがわかってくる。その上で鳥越は,音環境デザインの対象は音ではなく,音と聴く人との関係にあること,デザインとは「モノづくり」ではなく「音との新しい関係を意識させるしかけづくり」であることを主張する。音環境の議論であったサウンドスケープ思想は,ここで「人間として生きるためのデザイン」にまで高められるのである。

  本書について,鳥越自身は「敢えてシェーファーに遡り,エコロジカルな観点から近代西洋音楽の制度を本質的に問い直そうとしたサウンドスケープ思想の原点を確認することにした」とあとがきで述べている(212 頁)。確かにその意味で,本書はシェーファーの理論を見事に概説したサウンドスケープの絶好の入門書には違いない。だがその本当の魅力は,日本人としての研究者=実践者である鳥越本人の活動の軌跡をたどれる点にある。シェーファーを常に参照しつつ,かつて日本にも存在した豊かな音文化を想い,日本独自の聴覚的環境資源の鉱脈を掘り当て,デザイン活動を実践する彼女のひたむきな姿勢に読者は感銘を覚えると同時に,「聴くことを学ぶこと」というサウンドスケープ思想の原点に触れ,貴重な反省の機会を得るのである。

  ところでシェーファーとサウンドスケープ思想は,カナダで生まれたわりには,マクルーハン,フライ,グールドと同様,カナダ研究的な文脈において本格的に論じられることは日本ではまだ少ないように思う。近代文明や西洋音楽への批判,北米の社会・文化的背景といった大きな枠組みから,カナダという限定された地域にシェーファーの発想が絞り込め得るのかどうか,鳥越もここでは答えてはいないが,カナダ研究者は本書と向き合うことによって,そうした問題意識をも刺激されるであろう。


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(C) 1997-2005 Junichi Miyazawa

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