Junichi Miyazawa,
review of Vsevolod Sakharov,
Bulgakov: the Writer's Destiny,

translated from Russian into Japanese
by Toru Kawasaki and Shigeto Kuboki (Tokyo: Gunzosha, 2001),

Roshia Bunka Kenkyu no.10 (March 2003): XXXX-XXXX.

フセヴォロド・サハロフ 『ブルガーコフ 作家の運命
宮澤淳一

<書評>
フセヴォロド・サハロフ著
『ブルガーコフ 作家の運命』
川崎浹・久保木茂人訳
(群像社 2001年8月 B6判 282頁)
『ロシア文化研究』第10号(2003年3月): 〓〓-〓〓頁


  21世紀を迎えた今日、ミハイル・ブルガーコフ(1891‐1940)を20世紀ロシア最大の作家・劇作家のひとりに数えることは、すでに疑問の余地はあるまい。スターリン時代に沈黙を強いられ、発表のあてもないまま創作を続けた悲劇の人。ペレストロイカ以降、2つの長編小説と幾多の中短編、そして10数作の戯曲が本国でも読めるようになったが、それ以降もロシア内外で著作集や研究書の刊行が続いている。つい最近も、全8巻の新作品集(2002年)や、ボリス・ソコロフ著『ブルガーコフ百科事典』の改訂版(2003年)がロシアで出版され、この文学的ヒーローの重要性を再認識させられた。

  その意味では、日本でのブルガーコフ受容は遅れているが、2000年の『巨匠とマルガリータ』新訳の出版(法木綾子訳、上・下、群像社)はまさに福音であった。安井侑子訳(邦題『悪魔とマルガリータ』新潮社、1969年)、水野忠夫訳(『世界の文学4』所収、集英社、1977年;再録『世界の文学15ロシアV』所収、同、1990年)を承けての3度目の邦訳であり、新しい読者獲得の機会を生み出した。そしてこれをサポートし、この作家の生涯と仕事の全体像を日本の読者に簡明に紹介する好著が、本書『ブルガーコフ 作家の運命』 ということになる。

  著者フセヴォロド・イワーノヴィチ・サハロフは、1946年モスクワ生まれの文学研究者で、現在ゴーリキー世界文学研究所の主席研究員。本書は、1991年に書かれたテキストに基づいて翻訳されている(原書はその後加筆され、最終的には2001年に、資料編を含め、モスクワのオルマ・プレスより『ミハイル・ブルガーコフ――作家と権力』の題名で単行本化された)。この邦訳書は、序文と9つの章で構成され、ゆるやかな時間軸に基づいて、主要な作品とその論点をたどる作りとなっている。

  第1章「わが将来の伝記作家に」では、ブルガーコフ初期の、『カフスに記された手記』(1922-3年)等、軍医時代の体験を反映する「初期」の作品群を論じられるが、ここに著者のブルガーコフ観が凝縮されている。著者は、「芸術作品を作者の自伝であるかのように読んではならない」(16頁)と戒めつつ、ブルガーコフの作品の記述が「作家の実生活」(17頁)と結びついている事実を強調する――「ブルガーコフのイメージはコードや暗号ではなく、神話や象徴でもない。そこでわれわれが出会うのは現実の生活であり、生きた顔をもった人物である」(18頁)。つまり、作品が「自伝的」であることと、実生活の経験を反映していることとは別である。サハロフはこの違いに敏感で、初期作品の多くが「自伝的」であることを認める一方、同時期の代表的短編『モルヒネ』や『赤い冠』は、「チェーホフの『黒衣の僧』と同様に自伝ではなく、意志の観察と個人的な経験を活用した文学作品である」こと、「作中人物への作者の同化がまだひじょうに強く見うけられるとしても、ここにはすでに、作中の人物や事件に対する、注意深くもあり十分プロフェッショナルでもある客観的な視線が感じられる」ことを指摘し、ブルガーコフの作風の成立をここに措定する。その作風とは、「機知、幻想の輝き、『回転の◆早【ママ】い』散文の失踪、おもしろい筋を巧みに『ひねる』技法、しかも芸術的真実の側から離れない」(29頁)ものであり、そこにはロシアや西欧の作家たちの文学的伝統が踏まえられ、さらに「諷刺家という性格」(38頁)が「かれの運命」(同)として加わっているという。

  その「諷刺家」としての側面に光を当てたのが次章「諷刺は後悔を許さない」である。モスクワ移住後の1920年代初め、ブルガーコフは業界紙等で幾多の社会時評を担当し、やがて20年代半ばに『犬の心臓』や『悪魔物語』等の中短編を書き始めた。そうした作品にこめられた諷刺の本質を、著者は短編『◆汗【ハン】の火』(24年)に見出す。この作品においてブルガーコフは「破壊や分析や悪の力と機知縦横に闘い、日常の暮らしと人間心理の病的な現象を照射し焼き尽くし、肯定的な価値すなわち本物の文化、誠実さや不屈さや気品といったものを確立しつつあった」(70頁)。そしてブルガーコフは「平静に歴史の断層を見つめ、新旧両方の世界のあらゆる長所と短所を、すなわち巨大な諸事件の奥深い論理を見ている」(72頁)と著者は述べる。この作家の核心を突く指摘である。

  第3章「若いうちから名は惜しめ」は、この文句をエピグラフに持つ長編小説、『白衛軍』(1925年)を論じた章である。この引用の母体であるプーシキンの『大尉の娘』との関連が取り沙汰される。これは「油断している旅人に広野でいきなり襲いかかる吹雪のイメージ」(83頁)であり、この長編小説で描かれるのは、「キエフと過去」(82頁)の中に暮らし続け、急変する時代と環境を理解できず、艱苦を体験し、生き延びるインテリゲンチヤの姿である。

  続く3つの章では、ブルガーコフの演劇活動が扱われ、戯曲の解題がほぼ編年順に並ぶ。――第4章「舞台の上で思考する」では、劇作家ブルガーコフ誕生の過程、つまり、彼が『トゥルビン家の日々』を携えてモスクワ芸術座に迎えられ、ソ連の演劇界にコミットしていく様子が描かれ、彼の劇作法が要約される。ブルガーコフにとって重要なのは、「外面的な筋ではなく、心の暮らしや滅びつつある船のような[トゥルビン家の]家全体の雰囲気であり、半ば心理的で繊細な戯れ」(122 頁)であって、「彼のすべての戯曲がこの原則にしたがって」(同頁)書かれていた。――第5章「主題の選択」では、20年代後半の戯曲計4点が取り上げられる。それらは、「悲劇的道化芝居」(132 頁)としての『ゾイカのアパート』、「諷刺的パロディーの道化芝居」としての『赤紫島』、「作者の絶望と歴史的破局についての夢と追憶」(136 頁)としての『逃亡』、「抑圧する王の絶対的な力を黙認する悪意ある偽善者たちの秘術によって、押し殺されたモリエールの明るく輝かしい天才についての」(145 頁)作品『モリエール』である。それぞれに異なる主題と主人公を選び、劇作に励んだブルガーコフの意図が綿密に解き明かされていく。その姿勢は第6章「異分子的人物」でも継承され、予言的でSF的な「幻想三部作」(『アダムとイヴ』、『イワン・ワシーリエヴィチ』、『バトゥーム』)、そして『プーシキン』、『ドン・キホーテ』と、30年代の戯曲をめぐって考察は続く……。

  本書で異彩を放つのはブルガーコフと音楽の関係を論じた第7章「奇妙な交響曲」である。オペラを愛したブルガーコフが、巧みな音楽的引用を行なうばかりか、「自分の書く作品を、音楽的ドラマトゥルギーや交響楽形式の原理に従って構成することができた」(181 頁)ことが、豊富な事例とともに見えてくる。

  第8章「ディオニュソスの祭壇との訣別」では、生涯最後の10年間に携わった3つの小説――『秘密の友へ』(29年・未完)、『劇場』(29‐37年・未完)、『モリエール氏の生涯』(33年)が扱われ、演劇界との不幸な関係等の伝記的事実と作品との呼応が浮き彫りになる。そして第9章「鎮魂曲」は、ブルガーコフが最期に向けて創作活動を収束させた遺作『巨匠とマルガリータ』(1928?-40)に捧げられている。創作過程を追いつつ、著者サハロフはいくつかの作品解釈上の論点を取り上げていく。「作者」とは誰か? 「巨匠」はなぜ「安らぎ」に値したのか? 悪と悪魔の意味は? ブルガーコフの思想・信仰とは?――こうした論点に著者の用意する考察と答えはどれも穏当であるが、従来のうがった解釈の数々をかすませるだけの説得力がある。そうした著者の態度は、結果として、地道なテキスト学的研究や、伝記的・文学史的注釈のためのさらなる資料収集を後進に向けて奨励するものとなっている。

  ――以上のように整理すると、本書は時間軸に忠実な、直線的でおとなしい著作に思えるかもしれない。しかし、実際は、ブルガーコフの作家人生におけるさまざまな作品が時間軸を超えて随所で言及・考察されるカラフルな本である。まさに、想念が呼応しあい、響きあうテキストであり、サハロフの言及する作品群は、作家の「伝記的事実」や「実生活の経験」とも、過去の文豪の作品とも共振し、響きは増幅され、その振動は全章において鳴りやむことがない。サハロフの頭の中ではブルガーコフのさまざまな作品が、そして動機が、音楽が、まさに第7章の主張のように、多くの引用とともに鳴り響いているに違いない。まさにブルガーコフ=サハロフの交響楽であり、その響きは本書の2人の訳者に受け継がれた。まず全訳を終えた久保木茂人に、そして響き具合を調整し、達意の訳文に磨き上げた川崎浹に――。おかげで、私たち日本の読者もこの豊かな響きの中に身を置いて、ブルガーコフの生涯と仕事の全貌を体感できるようになった。

  本書をそうした響きの統一体として体験する場合、全編を通じて響きを彩る著者の発想がいくつも浮き上がってくる。そのひとつは、邦題『ブルガーコフ 作家の運命』 が示すように、ある種の運命論である。サハロフは、個々の作品や伝記的事実などに、ブルガーコフに降りかかる苦難の徴候を見出し、それを「運命」として言及するのを好む。またそうした記述を「予言的」であると指摘する。――別にこのような営みが悪いとは思わない。実際、ブルガーコフほど「運命」を感じさせる作家はいないし、本書では実に説得力ある形でこれらの言葉は響いているのだから。しかし著者は、本当に「運命」を読み取っているのか。あるいはこれは「響き」を強化する自覚的なレトリックなのか、それとも……。この疑問は、川崎浹が本書のバイアスとして指摘する「政治とイデオロギーの遠心力」(訳者あとがき、244 頁)とも関連するのかもしれないが、いずれにせよ、著者が提起し、訳者も読み取った、ブルガーコフの作品の特質は「テキスト」と「スタイル」にある、という主張がこれによって歪むことはない。

  本書の巻末には石原公道の執筆による平明かつ簡潔な「作品解題」(計33作品)と「年譜」が付され、読者の便がはかられている。また、索引が付されているのも良心的な本造りである。さらに、寺尾眞紀の装幀によるフランス表紙と、ブルガーコフの肖像が透けて見える半透明のカバーは、この作家独特の気品と遊び心に通じていて、見事である。

  本書は日本におけるブルガーコフ研究・紹介において意義深い出版であるが、もうひとつ、これは、訳者のひとり、久保木茂人の遺作となったことも忘れてはならない。久保木は早稲田大学および同大学院で学んだ、日本の先駆的なブルガーコフ研究者のひとりであり、例えば「若き日のブルガーコフ──医師として」(本誌第2号、1995年)など、ブルガーコフ初期を起点に研究を進めていた。

  私事ながら、久保木は評者の学兄である。大学院において、同じブルガーコフを研究テーマとしていたこともあり、親切にしていただいたが、お目にかかる機会は少なかった。しかしそれだけに、その一回一回が、印象に残っている。大学講師となられてから、出講の帰りに寄るいい飲み屋をみつけた話、ロシア語講師の連絡会議において、大部かつ精緻な手作りの教材を誇らしげにお見せくださったときのこと、さらにご結婚なさり、嬉しそうに浮かべた笑顔……。1996年享年43歳の急逝を惜しみ、冥福を祈ると同時に、久保木茂人の遺業に恥じぬ仕事をしたいと思う。


N.B. 再録にあたっては、漢数字を算用数字に改めず、そのまま用いています。

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(C) 2003-5 Junichi Miyazawa

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