Junichi Miyazawa,
review of Andrew Kazdin, Glenn Gould at Work: Creative Lying,
translated into Japanese by Susumu Ishii (Tokyo: Ongaku-no-tomo-sha, 1993),
Marie Claire Japon no.136 (March 1994).


天才グールドの私生活をあばき、神話を破壊した貴重な回想録
宮澤淳一
<書評>
アンドルー・カズディン著
『グレン・グールド アットワーク――創造の内幕』
石井晋訳(音楽之友社,1993年),
『マリ・クレール』第136号(1994年3月号).
   昨〔1993〕年11月19日、東京赤坂のカナダ大使館でグレン・グールドの伝記映画の試写を見た。フランソワ・ジラール監督(ケベック)の新作『グレン・グールドに関する32の短いフィルム』〔のちに『グレン・グールドをめぐる32章』として日本公開〕。エピソードの断片を年代順に並べたもので、まずまずの出来だった。公開演奏をやめ、スタジオにこもった天才ピアニストの創造的な隠遁生活を描き、私生活の意外な側面(株への投資、薬物中毒、恋愛)にも光を当てるという内容は予想どおりのものだったが、変人ぶりを強調しなかった点、彼の生きていた環境を映像化した点で評価できた。

  しかし、仕事仲間や遺族等、現実の関係者が思い出を語る映像が挿入されているのはどうか。来日したプロデューサーは「作品にリアリティを与えるため」と語っていたが、逆に説得力は弱まっていた。もっと虚構の力を信じてもよかったのではないか。あるいはこのアンドルー・カズディンの回想録に基づいていたら、問題作になったはずだ。

  カズディンはCBSレコード(現ソニー・クラシカル)の元プロデューサーで、グールドが演奏会をやめた翌年の65年から、死の3年前の79年までの15年間、彼のレコードの大半(40枚以上)を制作した人である。グールドとの出会いに始まり、一方的に公私両面の関係を断たれるまで、その15年間のエピソードの数々を、録音編集作業の詳細をまじえながら綴ったのが本書である。

  正直のところ、原書(89年刊)の評判は悪く、関係者も冷たかった。個人的に意見を求めると、「彼は、主人から餌をもらうのをひたすら待っている犬のような根性の持ち主なんだ」「ああいう本を俗語で“bitchy”(意地の悪い・ふしだらな)と言うんだよ」といった否定的な言葉が返ってきた。

  人格者グールドの「神話」を破壊し、友人や同僚を次々と使い捨てにした暴君グールドを描き、自分もそうして捨てられたと書いたこと、グールドの元恋人の実名を上げたことなどが顰蹙を買ったのはわかる。だがそれは、良識ある読者にとってはどうでもよいことだ。本書が批判されるべき点は、いかに微笑ましい内容のエピソードにおいても、読者の無邪気な笑いを誘わない文体にある。

  日本語にも見事に翻訳されているが、カズディンの明晰な記述は、個々の事件についても、そのときどきの自分の考えについても、客観性を貫いている。だがその客観性とは、グールドの横暴ぶりをとらえることよりも、翻弄される自分の抑圧された心理を描くことに奉仕しているように思える。しかも彼は、真意とも皮肉ともとれる、称讃とも非難ともとれる、微妙な言いまわしをする。こういう文体は、かえって主観性を帯び、愛情と憎しみが同居してしまうらしい。すると、そういう煮え切れない思いを抱くカズディンの苦渋に満ちた姿ばかりが像を結んでしまうのだ。読者は無邪気に読んではいられない。

  その意味で本書は、トーマス・ベルンハルトの『破滅者』(音楽之友社)のように、グールドを触媒として“破滅”する人間を描いたモノローグ小説として読むべきなのかもしれない。まずそうやってカズディンの情念を解放しないと、この貴重な回想録に秘められたグールドの真の姿は見えてこない。

  ところで現在、グールドの全CDは音のクリアな新方式で改編中である。バッハの『インヴェンションとシンフォニア』の再発売盤〔国内盤:ソニー・クラシカル SRCR9171〕について、友人のG君が小さな事実を教えてくれた。

  シンフォニア第2番の第11小節3拍目、上声部のGの音(第4トラック、51秒)が、以前の盤の音と違うのである。硬くて張りのあった音が、夾雑音を伴った弱い響きに取り替えられている(旧国内盤では第2トラック、3分47秒)。オリジナルテープが傷んでいたため、別テイクから音を切り貼りしたのであろう。その意味でこれはスキャンダルではないし、そういう箇所はほかにもあるのかもしれない。けれども、現在このシリーズのリミックスを担当しているフリーのプロデューサーが、ほかならぬカズディンであるという大きな事実を思い出すと、本書を読んでいるときと同様、私は無邪気ではいられない。この「創造的な偽り」にこめられているのは修復家の誠意なのだろうか、それとも主人の骨をしゃぶる犬のフェティシズムなのだろうか。


N.B. 再録にあたっては、漢数字を算用数字に改めました。

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(C) 2003-5 Junichi Miyazawa

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