Junichi Miyazawa,
Frequently Asked Questions on Glenn Gould,

Record Geijutsu vol.56 no.9 (September 2007): 207-10.

グレン・グールドに関するQ&A
回答者=宮澤淳一
『レコード芸術』第56巻第9号(2007年9月):207-210頁
生誕75年・没後25年を迎えるグレン・グールドについては、録音・映像も十分に紹介され、関連書も多いが、今なお疑問に思うことがある。この際、ファンの皆さんに代わって編集部がグールド研究でおなじみの宮澤淳一さんにいくつか質問をしてみた。
Q ベスト・アルバム『アンド・セレニティ』[ソニークラシカル SICC176]では日本盤だけのボーナス・トラック(世界初CD化のブラームス)が入ったり、独自企画の精密な紙ジャケ盤のシリーズが発売されたりと日本では目覚ましい動きがあります。これは日本でのグールド人気の高さを反映していると思われますが、諸外国や、本国カナダではどうなのでしょう?
  日本と並んではドイツやフランスなどでグールドの人気は特に高いようです。米国でもそれなりに人気ですし、カナダでも自国の生んだ世界的なアーティストという認知はあります。しかし、カナダ人が告白することですが、彼らには「この国から本当に凄い人がでてくるはずがない」という意識があって、諸外国でのグールド評価については半信半疑のようです。死後の人気に限って言えば、諸外国の高まりを追認する姿勢です。この9月末から約1年間、首都オタワの隣接都市ガティノーにある文明博物館(www.civilisations.ca)で「グレン・グールド展」が開かれ、学会も併催されます。この博物館は人類の文化・文明の歴史を追い、そこに「カナダ」の誕生と歩みを位置づける施設で、カナダ人のアイデンティティ形成に資する役割を持っています。ですから、ここで展覧会が開かれるということは、カナダ(人)の自己確認と対外的アピールのアイコンとしてグールドが選ばれたことを意味するのです。カナダ人としてのアイデンティティ論は私も『グレン・グールド論』(春秋社、04年)で理論的に考察しましたが、ケヴィン・バザーナも新しい伝記(サダコ・グエン訳、白水社、近刊〔『グレン・グールド神秘の探訪』2008年3月刊〕)に取り入れていますので、ご参照ください。


Q グールドは最初は日本で評価されていなかったと聞きますが……
  最初の日本盤はデビュー盤の《ゴルトベルク変奏曲》で、北米での発売の10ヶ月後の56年11月に日本コロムビアより発売されました(WL−5205)。しかし批評もまずまずで、あまり売れず、十分な認知がされなかった。本格的な紹介の先駆けは『芸術新潮』(63年4月号)の吉田秀和氏の記事だったと考えられます。日本コロムビアはシリーズ「グレン・グールドの芸術」を企画し、65年3月に《ゴルトベルク》を再発売し、既出の録音を順次国内盤化していきました。CBSの音源発売権は68年3月にCBSソニーに移り、《ゴルトベルク》は69年1月に擬似ステレオ盤として再発売。このときはインタヴュー盤『コンサート・ドロップアウト』との2枚組で、演奏会<<pp.207/208>>活動を否定した天才ピアニストという触れ込みで、注目を集め、他のレコードの発売も加わり、70年代に「賛否両論」の定評を得るようになったと考えられます。


Q 最後の演奏会はいつでしたか? 本人は1964年3月29日のシカゴでのリサイタルと述べていますが、同年4月10日のロサンジェルスのリサイタルと記述する本もあります。
  判明している限りでは後者(ロサンジェルス)です。演奏会評も残っているので確かです。89年にオットー・フリードリックが『グレン・グールドの生涯』(青土社、02年)で初めて指摘して判明しましたが、グールド本人は最後の演奏会は「シカゴ」だったと再三述べていた。誤認であったのか、意図的であったのか、いまだに謎です。


Q 演奏会活動をやめた本当の理由は? 本人もいろいろな説明をしていますが。
  実行する前の「動機」と、結果としての「意義」を分けて考えなくてはいけません。最大の「動機」は作曲活動に専念したかったことではないでしょうか。「意義」についてはジェフリー・ペイザントがグールド本人の発言を精査し、彼の生前にまとめました。『グレン・グールド、音楽、精神』としてこの秋、音楽之友社より新訳が出ますので、それをお読みいただければと思います〔2007年10月4日に発売された――新訳のインタヴューはこちら〕。


Q グールドの作った合唱曲に "So You Want to Write a Fugue?"がありますが、邦題はさまざまなようです。この題名の意味は?
  邦題は「フーガを書いてみたいな」「そんなにフーガを書きたいか」などあり、逐語訳は「じゃあフーガを書きたいの?」ですが、どれもしっくりきません。この解釈について、数年前、グールドのメーリング・リストで英語圏のファンたちと議論しました。納得できたのは、"So you want to ...?" という表現は、「相手の気持ちを見透かした疑問文」ということです。「ねっ、本当はフーガが好きで、フーガを書きたいんでしょう? わかっていますよ、隠さなくたっていいんです。さあさあお書きなさい」という含意です。落ち着くところは「フーガを書いてごらんなさい」でしょうか。


Q グールドの未発表録音はもうないのでしょうか?(今後のCD化の予定は?)
  いまだに商業販売されていない、という意味で「未発表」の録音はまだ残っています。(A)旧CBSの音源、(B)CBC(カナダ放送協会)の放送音源、(C)ライヴ音源、(D)主に十代のプライヴェート録音――の4種類に分けられます。(A)については、公的な記録による限り、断片的な未発表録音しか残っていません。めぼしいものとしてはベートーヴェンのソナタ第11番変ロ長調作品22(79〜80年録音)がありますが、第2楽章と第4楽章のみ。あとは66年にエリーザベト・シュヴァルツコップと共演したとき、ボツになったシュトラウスの歌曲が数点。そのほか、ジャズのアルバムのように、アウトテイクを発掘できればいいのですが、調査に費用がかかるなど、難しい事情があるらしい。
  (B)の放送音源の方が新たなリリースの可能性は高いです。CBCレコードというカナダ放送のCD発売部門から、あのデビュー盤《ゴルトベルク変奏曲》の前年(54年)の情感豊かな放送録音も出ましたね(CBC Records PSCD 2007)。ダイレクトカッティングのアセテート盤からの復元でした。50年代のそうした録音はすでにいくつかリリースされていますが、まだある。例えば51年12月25日の最初の放送番組(モーツァルトとヒンデミットのソナタ第3番)も残っています。そのほか60年代以降のリサイタル番組や、自分のレコードを聴かせる「グレン・グールドの芸術」という連続番組も、できればそのままの形態で聞きたいものです(関係者には働きかけています)。
  (C)のライヴ音源は、世界各地にまだ眠っています。公演先で地元のラジオ放送局が中継番組用に収録した録音が主で、オーケストラとの共演などもあります。(D)ですが、十代のグールドは個人所有のテープレコーダーで、自分の演奏の録音をかなり残していますが、オタワのアーカイヴでもカタログ化は進んでいません。それでもブリューノ・モンサンジョンが作った06年の映像作品『グレン・グールド・ヒアアフター』[Ideale Audience DVD9DM20]では、そうした録音からショパンの練習曲をさりげなく使われていますね。<<pp.208/209>>


Q グールドは大量の著作も残していますが、どの程度評価できるのですか? 演奏がすごいから読まれるだけだという声もありますが。
  確かに演奏があれほど刺激的でなければ著作は埋もれたでしょう(彼の音楽作品についても同様かもしれません)。また、彼の音楽論は自己流で、基礎となる知識も古いので、あくまでグールドの音楽的発想を知る手懸かりになると考えるべきです。メディア論の方が、彼の実践や、交流のあったマクルーハンの主張との摺り合わせなどによって、それなりの評価はできます。ほかにもさまざまなエッセイがありますが、どれも自己言及的です。要するに自分の生き様を語りたいのですね。ただし、一方的ではなく、良質のユーモアで楽しませてくれる。批評を装った虚構として成立している文章は魅力的です。『イギリス人の患者』が代表作のカナダの作家マイケル・オンダーチェが編者となった『現代カナダ短篇集』が英語圏で出ていますが、そこにはグールドの「ペトゥラ・クラーク探求」が収録されています。自律的な文学作品とみなされたのです。


Q グールド(Gould) の姓はかつて「ゴールド」(Gold)だったというのは本当ですか? もしかしてはユダヤ人だったのですか?
  彼はアングロ・サクソンで、プロテスタントの家系ですが、姓は本来「ゴールド」でした。祖父と父は毛皮商で、毛皮商にユダヤ人が多く、ユダヤ人への差別を避けるために彼の幼少期に改姓したと考えられています。ケヴィン・バザーナの新しい伝記(前出)に詳しいです。


Q グールドは完全主義者で、録音テクノロジーの先進的な使い手と考えられていますが、実際、どの程度徹底していたのでしょう?
  少なくとも最終生産物に関しては、ずぼらなところもありました。例えば、ハイドンのソナタ第59番変ホ長調(Hob.XVI:49)の81年再録音の冒頭を聴くと、急激にフェイドインしていて、最初の音のアタックがよく聞こえません(SRCR 9563〜4)。ところで、先日紙ジャケで限定発売された《平均律クラヴィーア<<pp.201/202>>曲集》第1巻の「第3集」(SICC 645)に収められた第24番の前奏曲ロ短調(65年録音)ですが、LP盤時代にあった前半部の繰り返しがCDとしては今回初めて復元されました。実は、グールド本人は前半部を1度しか弾かず、編集段階で複製して反復を作れと指示していたそうで、LPではその指示で完成したマスターテープが使われていましたが、死後のCD化にあたっては、その指示に基づかないマスターテープが用いられていたとのことです。それにしても、復元盤を聴いていると、たとえ複製でも、繰り返される瞬間は感動的なものがあり、まさにグールドの面目躍如のテクノロジーの魔術です。〔※全曲盤では「反復」の初の復元でしたが、実は、《平均律クラヴィーア曲集》の抜粋盤ではすでに(誰も気づかないままに)復元されていたことをソニー・クラシカルの担当者からその後指摘されました。「ベストクラシック100」に収められたの抜粋盤(SICC 330, 2004年11月発売)です。2008年11月に再発売された抜粋盤(SICC 1020)にも含まれています。ごめんなさい。訂正します。〕


Q グレン・グールドは今から25年前、《ゴルトベルク変奏曲》の再録音発売の直後、50歳と9日で突然この世を去りました。脳卒中とのことですが、これは間違いないのですか? あまりにも因縁めいていて単なる病死とは思いがたいのですが。
  当時、「死因は"stroke"だった」という報道が日本では誤訳され、「心臓発作」と書かれたりもしましたが、正しくは「脳卒中」です。最期については、医師であったピーター・オストウォルドが『グレン・グールド伝』(筑摩書房、00年)に、カルテと検死記録に基づき、検証しています。誕生日の頃に、脳の基底部にある海綿静脈洞という場所にできた血栓が発端で、それが動脈の血流を阻害して右脳がやられてしまったそうです。この記録に間違いはないでしょう。でも、確かに《ゴルトベルク》に立ち戻った直後の他界でしたし、50歳になったらピアニストをやめると公言していたことなどを考え合わせると、不思議なものを感じますね。

(2009年2月22日再録)

N.B. 〔 〕部分は再録にあたって補った箇所です。

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(C) 2003-9 Junichi Miyazawa

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