Junichi Miyazawa,
"Trip to Australia in search of Percy Grainger, September 1995,"
Ongaku geijutsu 53, no.12 (December 1995): 94-96.


パーシー・グレインジャー再評価の気運をとらえて
――彼の祖国オーストラリアへの旅――
宮澤淳一

『音楽芸術』第53巻第12号(1995年12月): 94-96頁


●グレインジャー再評価の動向

   本年9月末、パーシー・グレインジャー(1882−1961)をめぐる南半球への短い旅に出かけた。行き先は彼の母国オーストラリア。目的は2つあった。ひとつはメルボルン大学付属のグレインジャー記念館を訪れ、資料を閲覧し、同館主催の年次講演会に出席すること、もうひとつはニューサウスウェールズ州ニューカッスルで演奏されるグレインジャーの作品を聴くことであった。

   死後三十余年を経た現在、グレインジャーの知名度は、世界的にみても高くない。メルボルンに生まれ、ドイツに学び、英米を拠点に活躍した往年のヴィルトゥオーゾ・ピアニスト。英国・北欧民謡の採集家で、古楽の研究も行ない、各種の編曲も手懸けた作曲家。こうした事実は音楽史の小さな物語にすぎず、その業績の評価も未確定である(むしろ性の倒錯者であった事実の方が有名かもしれない。コリン・ウィルソン『性のアウトサイダー』鈴木晶訳、青土社、1989年、参照)。

   もっとも、死後、本人のピアノ演奏のSP録音の復刻や、今日の演奏家による作品の新録音も、地味ながら絶えず続いている。自作や編曲の楽譜もショット版やペータース版で入手可能であり、伝記、著作集、資料集、作品論等、すでに十指に余る研究書が海外で刊行され、その生涯を描いた戯曲も2本ある。そして90年代に入り、こうしたグレインジャー紹介の動きは急速に活気づいてきた。彼自身の演奏(バッハ、ショパン、シューマン、グリーグなど)が各社よりCD化されたし、さまざまなジャンルの新録音も相次ぎ、マーティン・ジョーンズの演奏によるピアノ曲全集全5巻も完結した(英ニンバス。この中の1曲《婚礼のララバイ》は92年に映画『ハワーズ・エンド』の主題曲に採用され話題を呼んだ)。出版界ではオックスフォード大学出版局が積極的な姿勢を見せており、92年にはウィルフリッド・メラーズのグレインジャー論を、つい昨年には後半生の書簡集を出版した。また、77年の刊行以来長らく絶版であった名著の誉れ高いジョン・バードの伝記も近々復刊予定と聞く。

   さらに今年は日本でも動きがあった。ジョン・ガーディナーの新録音、ホルストの《惑星》がグラモフォンより発売されたが、そこにグレインジャーの代表作、想像上のバレエ音楽=s戦士たち》が併録され、人々の注目を集めたのである。これまでグレインジャーが日本で無名に近かった理由のひとつには、吹奏楽曲を除き、メジャー・レーベルからの録音がほとんど発売されていなかったことが挙げられるが、来春には同じくガーディナーの指揮による合唱曲集がフィリップスより発売予定であり、私たち日本人がグレインジャーの音楽に触れる機会は徐々に増えつつある。





「カンガルーの袋」フリー・ミュージック・マシン
photo by Junichi Miyazawa

●興味深い自筆譜とフリー・ミュージック・マシン

   さて、グレインジャー記念館(Grainger Museum)は、グレインジャー本人の出資によって創設され、1938年に開館した施設である。民族音楽の研究機関をめざしたもので、民族楽器や蝋管式録音等の各種資料を所蔵、展示しているほか、彼自身や仲間の音楽家の楽譜、書簡、各種文書、記念品等を収めた本格的なアーカイヴもあり、今日のグレインジャー研究の拠点のひとつとなっている。

   記念館の年次講演会は、9月27日水曜日の夕刻、メルボルン大学音楽学部のメルバ・ホールで盛況に行なわれた。今年の講演者は彼の楽譜の校訂者のひとりで英国グレインジャー協会の会長でもあるバリー・オウルド(Barry Peter Ould)。演題は「パーシー・グレインジャーと『ハワーズ・エンド』への道」。録音を聴かせつつ、グレインジャーの生涯とその音楽活動をたどる講演だった。遠距離旅行の困難だった今世紀初頭にあって、諸文化に対する強い関心から世界中に演奏旅行を行ない、グローバルな考え方を学んだグレインジャーは、「音楽の民主主義」をめざして、バッハからガーシュインまで、中国の音楽からズールー族の音楽まで、すべての音楽を対等に受け入れた最初の作曲家である。オウルドの講演はこうした見解に力点を置き、多様な音楽的要素を秘めた未発表作品を校訂する作業の楽しみを語った。

   今回の訪問で、私は、グレインジャーやディーリアスの書簡に目を通し、また自筆譜を閲覧した。印象的だったのは《戦士たち》の自筆譜である。管弦楽に三台のピアノと吹奏楽を加え、さまざまな民族の歓楽的な祝祭を描いたこの大作の自筆譜は、1917年の作曲者自身の指揮による初演に用いられたもので、鉛筆や鮮やかな水彩絵の具で細かな書き込みが施されているが、本格的な校訂は、多くの作品同様、いまだなされていないという。

   加えて印象的だったのは、展示室にあった有名なフリー・ミュージック・マシンである。グレインジャーは若い頃から「鳥の飛翔のような旋律、大洋の海のようなリズム、夕暮れの空のような和声」を音楽の理想と考えていた。彼は、伝統的な音階・拍子・和声から解放された「フリー・ミュージック(自在音楽)」を奏でる自動演奏機械の開発に晩年を捧げた。写真のマシンはその試作機のひとつで、ローラーに巻かれた四本の紙テープが走行し、その形状にしたがって上下するバーが発振器の抵抗値を変え、スピーカーから音が出る。製作は50年代。ちょうどシュトックハウゼンが電子音楽に着手したのと同時期であったが、数理的な電子音楽の発展とは対照的に、グレインジャーの手作り≠フ試みは61年の彼の死によって途絶した。



●オーストラリア人としてのアイデンティティが投影されて

   講演会の翌々日の29日、ニューカッスルに飛び、その晩地元のハンター管弦楽団の演奏会を聴いた(サイモン・ケンウェイ指揮、混成四部のザ・ソング・カンパニーとの共演)。曲目はグレインジャーの同時代人キプリング(1865−1936)の詩に基づく合唱曲を集めたもので、重厚な和声とキプリングの独特な韻律を生かした変則的なリズムの上に、清楚でありながらどこか野蛮さを秘めた音楽が厳かに立ち現われた。

 呼び物は演奏会後半の《ジャングル・ブック・サイクル》計10曲だった。愛読書『ジャングル・ブック』(1894)に含まれる詩に基づくグレインジャー渾身の作だが、まとめて演奏される機会は少ない。インドの密林で狼の子として育てられた少年モーグリの活躍するこの物語は、動物たちが人間と対等に言語を操る世界であり、人間の横暴な文明社会に対する批判もこめられている。おそらくグレインジャーは、あらゆる動物たちの言語(=民族音楽)を解し、横暴な文明(=西洋音楽)に挑むものとして、モーグリに自分の姿を重ねていたのだろう。

   おそらくここに、グレインジャーのオーストラリア人としてのアイデンティティも現われている。今回の旅で私は、オーストラリア人には大自然を制御しようとする意識は意外に希薄であり、むしろ自然界の野性的なものや異様なものを、こだわりなく、おおらかに肯定する態度が強いのに驚いた。彼の『ジャングル・ブック』への傾倒も、「音楽の民主主義」の発想も、そうした態度から生まれたのだろう。加えて彼らには北半球の動きに対する適度の無関心さ、わが道をゆく呑気さがある。時代にとり残された手作り≠フ「フリー・ミュージック」の着想も、オーストラリア人ならではのものだと思う。

   グレインジャー再評価の気運は高く、研究も今後進みそうである。彼は複合的な和声、変則的なリズムをいち早く開拓した人物で、ストラヴィンスキー、ヒンデミット、シェーンベルクらにも影響を与えたと言われ、独自の音楽語法の解明が待たれる。だが研究が進んでも、二十世紀前半の音楽史の大幅な書き替えは、私個人はあまり期待していない。私も含め、グレインジャーに魅せられた人々が彼の音楽に求めるのは過去の作り替えではない。むしろ、次世紀を迎えるべき私たちの想像力を刺激する、楽天的な活力なのだ。


N.B.再録にあたっては、漢数字を適宜算用数字に改めています。

このページの冒頭に戻る。グレインジャーの解説に戻る


(C) 1997-2005 Junichi Miyazawa

冒頭 | ご挨拶 | ニュース | 原稿 | プロフィール | リンク | さまざま
音楽 | 文学 | メディア論 | カナダ研究 | ロシア研究 | 入り口ページ

* グールド * マクルーハン * グレインジャー * ブルガーコフ *